極移動の証拠を残す遺跡      11月9日

 6万年前の暦の計測を行った遺跡は、ペルーのサクサイワマン遺跡とレバノンのバールベック遺跡です。3万年前の暦の計測は同じくバークベック遺跡とルーマニアのサルミジェゲトゥサ・リージア遺跡です。
 サクサイワマンとバールベックは巨石で有名な遺跡です。サルミジェゲトゥサ・リージア遺跡は現在の我々には利用方法の解き明かせないストーンサークルを残しています。

 大半の先史文明の遺跡は以下の2つの旧極の位置と当時の暦のパラメーターを伝えています。サクサイワマンとバールベックの遺跡はそれぞれ遺跡全体がグリーンランド海極向けられるだけでなく、当時の暦パラメーターを持っています。
 西アジアと南アメリカにある遠く離れた遺跡が同じ場所を指し、同じ数値を残していることは否定の出来ない事実です。遺跡の伝える数字はさらに統計的にも一致します。
 古いバチカン大聖堂の図面が残されています。この解析をするとハドソン湾極時代の暦のパラメーターと現在の月のパラメーターが出てきます。当時の情報はそれと意識されないままに様々に残されているのでしょう。

Position of the Hudson-Bay pole ハドソン湾極
57-degree 37’ 27” N 79-degree 58’ 30” W
Position of the Greenland-Sea pole グリーンランド海極
75-degree 17’ 49” N 7- degree 10’ 25” W
Cycles of earth and moon
365.24 年days per year Synodic period月 29.53 days The North Pole of present
360.07 年days per year Synodic period 月25.72 days The Hudson-Bay pole
370.4 年days per year Synodic period 月25.38 days The Greenland-Sea pole

 この数字の解説をする前に、遺跡の残すもう一組の重要な数字を見ておきます。バビロンの遺跡に組み込まれて強調されているイナンナ定数とデンデラの遺跡に残されているイシス定数です。イナンナ定数はこちらの仮称で、ニネベ定数として知られている物です。数値の意味にイナンナ女神が利用されているので、この仮称を使っています。

 まずは有名なイナンナ定数です。以下の大きな数字ですが、暦の計測数値と歳差運動周期の数値のかけ算にされているのです。ハドソン湾極時代の暦の数値です。この時代を表す数値として利用されてもいるのです。
Nineveh constant=195955200000000=
(=2268000000x86400 =70x60^7 known number)
= 25920x500x30240x500
= 324000x40x30240x500
= 900x64x189x360x100x500
; 900x64x189/360= 30240,

 25920は現在の歳差運動の数値に模される物であり、4320x6=25920年です。4320x7=30240は伴星周期の平均値です。6/7がギザのピラミッドの体積比で表現されていますが、ここに出てくる数値です。
 324000=900x360です。こちらは暦の計測に900年必要であると言う計測期間の長さを表しています。そしてこの900年間に64日分の春分点移動が起きていたのです。

 同様にイシス定数です。こちらは現在の暦の数値です。
Isis constant=13207139618400
= (365x1461)x819x30240
= 1461x6615x1366560
; 1461= 365x4+1
; 1366560= 29952x365/8, also recorded in Mayan codex.マヤの絵文書に出てくる数値です。

 49カ所の遺跡にはこのイシス定数が、13.2071kmとして出てくることが多いです。14カ所は22.68kmのイナンナ定数を使い、ハドソン湾極への回帰を目指しているのです。この数値の利用状況は次回以降に紹介したいと思います。数値を利用した敵の呪詛に対応している物が、神聖像としてのスフィンクスでもあるのです。

 グリーンランド海極時代の1年は370.4日です。これを37日で10回数えて春分点のずれを求めるのが遺跡の計測です。ハドソン湾極は900年も数える必要がありますが、15年で1日のずれ量を意識して暦の遺跡では計測していました。
 月の周期は100回の満月を数えて、そこに必要な日数を求めています。ここで特筆すべきがハドソン湾極時代の月の周期です。地球と同期しており1年にちょうど14周するのです。南北のずれなど同じ位置の軌道に戻るには10年くらいかかると思いますが、正確に1年14周は運命を決める物として人々を支配する上で、重要な宗教上の道具になっていたと思います。この種の運命には逆らえないとしていたのでしょう。

 マヤの長期暦が360日と260日の組み合わせで残されている理由はここにあるのです。25.72日を26日で計算して利用する部分は暦にも残されていますし、中米各地の遺跡に残る暦のリングでも使われている数値です。100回の満月を数えて暦にしていた物でしょう。
 それぞれの遺跡の具体的な数値はイラストを参照下さい。

 極移動の証拠は意外なところにも残っています。旧バチカン大聖堂は4世紀に作られた物ですが、ローマの権力者は2の12乗根のハドソン湾極へのこだわりを表すために暦の情報を組み込んでいます。26日の半分である13という数字を繰り返し使うことで、月とハドソン湾極へのこだわりを表しているのです。
 遺跡ではなく遺物になりますが、旧約聖書の中の暗号も当時の人々が宗教書を改竄して組み込んだ物です。12660年前や11360年前がマヤの長期暦で表現されています。

 統計的に評価することが重要なので、解析時間が足りずまだ十分な証拠にならない状況です。現状1年365.24日、360.07日、370.4日での解析が出来ており、グリーンランド海極時代とハドソン湾極時代、そして今の時代の始まりの時期である伴星接近時の状況がそれぞれ分かるのです。
 12660年や11360年は比較する情報が存在するので時期の特定が可能ですが、この時期には比較する情報がありません。統計的にぎりぎりの操作しかされていないので、明確な時期の特定には統計処理量を増やす必要があります。まだ処理が追いついていない状況ですが、処理能力の向上にあわせて少しずつ当時の情報を公表出来ると思います。

 イナンナ女神ですが、バビロンにおいて伴星接近時の電流が引き起こすプラズマ発光を伝えるために使われています。伴星接近を伝える役割を持つのでニネベ定数よりも相応しいと考えての組み合わせです。イシスも同様の役割を与えられていました。
 現在の地球にはレッドスプライトと呼ばれる100km程度以下の高空で光るプラズマがあります。1秒の千分の1程度しか発光しないので多くの人の知らない物ですが、ビデオの登場以降科学が進んで記録が残っています。

 このレッドスプライトが伴星電流で長時間光るようになる時、イナンナ女神が空に現れて、その後の天変地異を告げる前兆になるのです。伴星電流を地球に流すと地震と噴火が増えて、火山灰による寒冷化により一時的に大きく寒冷化しているようです。記録はシュメールの粘土板に一部が残されています。ニビルの関連として改めて検証されるでしょう。

 イナンナ女神の像でプラズマ発光を表す物は複数残されています。有名な物がフクロウにされている像です。フクロウは目にしたプラズマの形を重ねた物だと思います。
 一般には考えにくい構図である帽子を被った裸体の女性で描かれており、世界各地に同様の像が存在しています。この構図にはプラズマ発光を伝える目的が納得出来るのです。
 日本の縄文のビーナスとVenus of Willendorf(Austria)とFemale Figure of Valdivia(Ecuador)とIsis-Aphrodite(Egypt)です。縄文の女神はこのデフォルメ版でしょう。

 日本の遮光器土偶もプラズマ発光としてみると、スクワットをする人として壁画に描かれている絵と同じ概念です。目の部分はフクロウでもあり、イナンナの目の偶像です。
 レッドスプライトの現在のサンプルも載せておきます。同時にたくさん現れるので、エクアドルと目の偶像は頭部が2つある物が残されています。これなどは一般概念では説明出来ないと思いますが、プラズマ発光であればこの重なりは起きうる物になります。

 最後にマンモスの話です。シベリアのマンモスは、ハドソン湾極から現在の北極に極移動が起きた時に冷凍された物だと思います。約3万年前の話です。
 シベリアから見て極移動の距離は約3600kmで緯度が30度以上北に傾くのです。それまで温帯だった場所がいきなり極地に近くなる状況です。しかも水蒸気爆発による大規模地殻変動だけでなく、同時に火山の噴火による火山灰の放出も始まって気温の急激な低下も同時に起きていたでしょう。

 マンモスは飢えや寿命ではなく大津波などの天変地異で死んで、遺体が腐食することなくそのまま冷凍された可能性が高いと考えます。胃に内容物を残している遺体も存在するほどの急激な変化だったのです。
 地球の自転軸はしばらくふらついていると思いますが、数日で今の北極の位置に落ち着いているでしょう。3600kmが一度に動いたと考えるとこの状況が説明出来るのです。
 マンモスの冷凍された遺体は、当時の気象条件の激変をそのまま残しているのです。

 遺体は3万年前の物を含んでいますが、4万年前~1万年前の物とされることが多いです。-100度の冷気を吸い込んで死んだとされることが多くなっています。その後ずっと冷凍されたままである理由は語られる事がありません。
 遺体は溶けたり、凍ったりしながら地表で発見される物が多いはずです。この時の影響で地層の与える年代情報が明確でなくなる事に加えて、遺体も大気による影響を受けて年代測定を難しくしているのでしょう。年代測定におけるこの種の汚染の問題が、正確な年代を分かりにくくしているでしょう。
 人々が極移動の現実を受け入れる時、この種の解析と解釈に変化が生まれ、正しい年代に近づくことになると考えています。

稲生雅之
イオン・アルゲイン