ギザと呼応する大阪と奈良と岡山の古墳と主要な遺跡の紹介1/2 12月11日追記

 世界には64カ所(1つ増えました。)の先史文明の遺跡が存在します。リゲル等の星の角を0.01度の精度で遺跡に組み込み、文字を使わず共通する時期と情報を伝える事が特徴です。歳差運動(伴星運動の補正が必要)を使う事で1万年以上前の過去から2千年先までの未来を伝えています。情報の存在は先史文明の遺跡に共通する統計的事実です。
 この記事では2つに分かれている遺跡のグループの情報組み込み例を簡単に紹介しています。遺跡情報全般の説明は以下の記事を参照下さい。

要約版 遺跡の伝える地球の過去と未来
http://www.biblecode.jp/News_View.php?@DB_ID@=325

 ギザを始めとする光速度の遺跡は、一部を2の12乗根側に破壊されています。この予想された破壊に備えて、以下の遺跡で情報の役割分担をしていました。
 新たにイエスのADの組み込みが明確になったので全体を再確認しました。日本語で大阪と奈良の古墳を紹介する必要があって作業をしたのですが、役割分担に2つも追加が必要になるレベルの思わぬ結果となりました。岡山の古墳群が64番目として追加です。

ギザ        先史文明の存在と呪いのサークルへの情報公開
バビロン      ハドソン湾極時代を表すイナンナ定数
アンコールワット  離心率、イエスのAD計画
咸陽ピラミッド   旧暦のパラメータ
ティアワナコ    イナンナ定数の意味である旧暦の計測手法
ボロブドール    屋久島とイースター島の地殻変動情報への強調
イースター島    地殻変動情報の詳細
屋久島       中央海嶺の誕生と富士山の情報、巨石技術
大阪、奈良、岡山の古墳群 イエスのAD計画、富士山の情報と日本からの情報公開

 ギザのピラミッドには以下の6つが重要な情報として組み込まれています。
29979   光速度
29952   伴星象徴周期(マヤ長期暦の周期)
29834   伴星平均周期
2049~75 伴星接近時期
6/7     歳差運動の現在値と伴星平均周期の比
4160    地殻変動の予想時期

 上記の遺跡の役割分担の結果であると思いますが、アンコールワット、屋久島の巨石群、大阪と奈良と岡山の古墳群はそれぞれが大規模な構造物で6つの情報を伝えています。
 現時点の日本最大の古墳である仁徳天皇陵は上記の6つの情報を含んで作られ、ギザに向けた角度の情報も含んでいます。当時の日本の人々はギザがどの様な情報を発信しているかを知っており、同じ情報の存在を主張していました。奈良と岡山の古墳群も同様です。

1)大阪の古墳群
 ギザの3つのピラミッドと同じ情報を仁徳天皇陵で表現しています。詳細はイラストを参照下さい。ここに重要な情報が存在する事を主張する必要があったのでしょう。墓域面積は世界最大と言われています。大阪も奈良も他の古墳からリゲルで情報が読み出せていましたので、ギザに合わされたこの重要部分に気づくのが遅れてしまいました。仁徳天皇陵は一般と異なりシリウスの角度を使うと情報が読み出せる遺跡でした。
 奈良の遺跡と同様にAD年代の組み込みが数値で直接されています。この数値は星の角度の情報と組み合わせてあり、ADの組み込みが計画通りでなくても時期の情報が伝わる様に配慮されています。他の遺跡ではこの情報を星の角度に重ねている所はほとんどなく、数字一つを重ねる程度でした。ここには1912~75と、4160が存在しています。

 遺跡は過去の年代を伝えており、ここには屋久島同様に8540年前を角度で伝える安閑天皇の陵があります。自分達の遺跡を作った時期を大きな古墳で表現すると考えると、日本で二位の応神天皇陵が約7300年前です。近くに允恭天皇陵があり約6800年前です。8540年前に屋久島の巨石群を残した人々が約7300年前の鬼界カルデラの噴火を予想して本土に戻り、この時期に古墳群を築いて残したのではないかと思います。当時大阪は20cmの火山灰の降灰であり、大きな影響を避けたと思われます。
 中心で4160年を直接表し、下部の石畳部分で伴星接近を表している履中天皇陵(日本三位)と、允恭天皇陵の間には極移動のない現代を表すイシス定数(13.2071km)が組み入れられています。応神天皇陵も近くにあってこれらの時期に天変地異の起きない事を願っていました。

 イシス定数の2倍の位置に耳成山・山口神社があり、角度は三宅島の火口です。丸山古墳も2倍であり、こちらは地殻変動の原因であるマントル溜まりの位置と思われます。耳成山は人工丘であれば長径が500mあり仁徳天皇陵を越えています。岡山だけでは表しきれない地殻変動の情報をこちらで表現しています。これらは敵から隠す意図と、勢力圏内に配置して守る意図もある様でした。
 古墳はエジプトのピラミッドと同じで、先史文明の残した古い物とそれを真似した後の世の物が混在している様です。先史文明の存在が明らかになった後に見直されるでしょう。

2)奈良の古墳群
 奈良の古墳には仁徳天皇陵の持つ角度が表現されており、こちらが後の時代に作られた物と思われます。8540年前を表す箸墓古墳、約6800年前を表す開化天皇陵が残されています。古墳の主は不明ですが鶯塚古墳が約5000年前を示しており4160年を数値で直接表しています。その位置には1/2イシス定数が神功皇后陵北端(伴星接近と光速度を重ねて表している)との間に重ねられ、伴星接近時と4160年の地殻変動が起きない事を願っています。山の上という非常に珍しい位置は、当時の富士山の大噴火を表していると思います。その噴火は、せの湖を二分し西湖と精進湖が生まれました。
 大阪側は日本五位の大塚山古墳で5000年前が表現されており、時期を重ねて伝えることで注目を促し奈良の製作時期を表すと思われます。同時期に縄文ビーナスと仮面の女神、火焔土器と水煙土器が作られています。これらは指導者が後継者への情報を制限し、遺物に情報を託し文字を使わない事で、2つの闘争の条件である先史文明を手放した時期である事を伝えている様です。土器は当時の富士山の噴火を連想させる形状です。

 奈良で重要な部分はADの伝える時期です。1912,2013,49,75が明確にされており、2013~22年の間が古墳の下部の石畳部分に重ねられています。2015は富士山の噴火リスクを伝える時であり、同時にこの情報公開を伝える時でもあると思います。2016,17年と目立つ工夫がされており重要な時期と計画されている様です。
 私達の先祖である遺跡を残した人々は、ADの組み込みが上手くゆくことを願い、これらの数値を遺跡に組み込んで伝えています。奈良も大阪もADの組み込みと使用が偶然でない事を明確に主張し、この部分の計画がうまく進んだ事を私達に伝えています。
 当時の人々はキリスト教の影響のない日本を計画し、真実のイエスと先史文明の情報公開を託したのでしょう。日本が対処すべき地殻変動へも自覚を促す物であり、現実の問題として伝えたいのです。

3)岡山の古墳群
a)造山古墳群
 残念な事に多くが破壊されていますが、ギザの6つの情報は日本四位の造山古墳に確認出来ました。ギザのピラミッド同様に破壊されても伝えられる部分が意識して残されており、予想通りなのか重要な情報の読み出しが出来ています。四位の検討は64番目の光速度側の遺跡と、当時日本に存在した敵の影響と人々の願いを明らかにする事になりました。
 古墳群には2の12乗根側の破壊の爪痕が残されています。イナンナ定数864の1/2の距離と1.05946の3倍角を用いて、位置を指し示してから計測中心を完全に破壊した様です。その為のサークルが残っていたので、元の正確な位置が簡単に推測出来ました。今はバラ園になっており花で飾るに相応しい場所と思います。ありがたい事です。
 同様の破壊を調べた所、スフィンクスとバビロンのゲートには22.68kmに池が、ティアワナコは4.32kmに小遺跡が残されていました。3倍角を利用し痕跡を残す彼らの工作で、第一ピラミッドのキャップストーンは1倍角で小遺跡が残されていました。日本にも2の12乗根側の人々が入り込んでいる事が明らかな現実です。

 この計測中心からシリウスの2075年の角度に塚があり、そこに日本十位の作山古墳から1/2のイシス定数が重ねられています。アンドロメダ銀河の1/2の位置にも塚が造られており、こちらは距離を8倍して2012年です。数値の直接表現でした。
 造山古墳の底辺が約300度にされており、もう一つの残されている計測中心である楯築遺跡から2075年のオリオン大星雲トラペジウム50度の6倍角でした。光速度を使って表わす時期はシリウスの4160年でした。9倍角で299.81度となるので、この時期を強調している事が明らかでした。こちらの計測中心から1/2イシス定数の塚の位置は4160mです。同様に数値の直接表現でした。この遺跡の伝える地殻変動の4160年への強調が大きな破壊を招いた様です。計測中心からは次に説明する日本最大の旭川古墳で富士山火口だけでなく、三宅島火口は奈良の綏靖天皇陵(隣の陵墓である初代神武天皇に次ぐ2代目の方です)、伊豆大島の割れ目火口は月のうさぎで指し示されています。大きい物、重要な物を使う強い強調であり、地殻変動の関連は彼らが隠したい情報である事が明らかです。

 仁徳天皇陵は大きさを利用して2012年と4160年の双方を伝えています。残りの2つは光速度を重ねて強調し、神功皇后陵は2075年、造山古墳は4160年をそれぞれ伝えています。伴星接近と地殻変動の情報が重要である事を明らかにしています。
 計測中心からギザの角度を1/3するとイースター島への角100.5度です。この角度には小丘と建物跡が残され、今は神社です。5千年前も表しイシス定数の距離です。
 計測中心から造山古墳が8540年の2倍角で示されており、作山古墳が4950年の5倍角で示されています。6900年前を表す小さな撫川城も残されています。
 4位の造山古墳は屋久島の年代を表し、10位の作山古墳で自分達の時代を表しているようです。大阪の時代も6900年前で残され、時代の描写は大阪と奈良に一致します。
 この遺跡は地殻変動と、関連する富士山のリスクを強調して伝える為に残されています。

b)日本最大の古墳(古墳と正式に認められるまで仮称として旭川古墳としておきます。)
 造山の計測点から富士山火口の角度とイシス定数の距離に旭川が流れており、その手前に長さ530mの破壊された古墳が残されていました。仁徳天皇陵を超える大きさですが、当時の破壊の影響で古墳とは認定されていません。イラストを見れば分かるように形状は一目瞭然です。4.32kmの距離と1xの角度で三角池が残されており、この場所も彼らの破壊である事が明らかでした。
 当時の人々は富士山の方向にイシス定数の距離で川を重ね、予想される噴火が穏やかな物になる事を火を水で治める形で祈っています。そのリスクを伝えるために日本最大級の古墳を造って私達に訴えていました。ギザと同様に大きすぎる物は壊しきれないのです。
 もちろんここにもギザと同じ6つの情報が組み込まれていました。詳しく調べてみると、大阪と奈良は小型の古墳と山墓で富士山の火口を指し示していました。大きなリスクである事を強調しているのです。

 この古墳の底辺は250度なので、その先を調べると計測中心が存在し、
仁徳天皇陵    三宅島火口
造山の2012塚 イシス定数
造山、作山古墳  299.79度x7/6
うさぎの耳(次の項目で説明します) イースター島の角度
2012直接表現 富士山火口の重なる旭川
2148直接表現 うさぎの計測中心から297.98度
古墳の本体    6/7による29xxxの表現とトラペジウムの2075年による光速度の表現、4160年はアンドロメダ銀河の角度で表す。
古墳本体上部   奈良の宇和名辺古墳のお堀へイシス定数距離x13
 となりました。この日本最大の古墳は先史文明の遺跡である事は間違いありません。名無しは残念なので、正式に決まるまでこちらの仮称として旭川古墳としておきます。

c)月のうさぎのモニュメント
 長さ600mでこちらの方が大きいウサギ型のモニュメントが造山古墳の計測中心からイシス定数の2倍の位置にあり、元の地形を生かしたモニュメント群と思われます。東海地震の原因であるフィリピン海プレートと、伊豆大島の割れ目火口を目の位置の角度で指し示しています。大阪の示す三宅島と合わせて富士の噴火に大きく影響する地への注意を強く促しています。大きさは東海地震が富士山の噴火に直結している事への重要な注意を表す物でもあるでしょう。詳細は地殻変動の記事を参照下さい。

 このうさぎにも6つの情報は組み込まれており、先史文明の遺跡である事は明らかです。何故うさぎなのかを考えると、近くには犬に似た狐形と、小僧に似た猿形の丘が存在しています。恐らく月のうさぎを模した物と思われ、神話や説話に語られるうさぎの自己犠牲と利他の覚悟を表しています。
 彼らが大きさを利用して最も訴えたい物は、利他として社会を守る為の自己犠牲の精神です。人を騙す事を厭わず、自分が得をする事ばかり考える2の12乗根側とは真逆であり、敵をも明らかにしています。当時の人々は北京との戦いが起きる事を知り、この地で敵を防ぐ為に、未来に当時の戦の情報を伝え残す為に、大きな犠牲を覚悟で戦ったのです。
 仏教はボロブドールの遺跡に見るように先史文明の宗教です。このうさぎはその説話を利用して残された物であり、今昔物語に月の兎として私達の言葉で残っています。

 以下はうさぎの向いている方向にある計測中心への組み込みです。人々の覚悟が伺える重要情報が重ねられています。主要な物のみで、他にも情報はたくさんあると思います。
造山古墳の残された計測点 7/6で299.46度
造山古墳の138度位置の城跡 22km丁度、6/5で299.79度
2012年の塚   23km丁度
4160年の塚   22.5km丁度
造山古墳中心    25km丁度
旭川古墳光速度位置 12.5km丁度
旭川古墳西側の丘  イシス定数距離
イシス定数の神社  イシス定数距離
大阪の計測点    イシス定数距離x10(目の中心から50mずれた本体内です。)
2049直接表現  297.98度 8196m(1/4で2049)
うさぎの本体    トラペジウム2075,4160年、アンドロメダ銀河4160年、リゲル2075年、耳の位置で4160mの6/7。うさぎの目は距離を9倍して光速度。
猿の右手の古墳型  レグルスの2075年角が4160mで年の直接表現
両宮山古墳と森山古墳 重なりで紫禁城の計測点のへの角度295.51度を明確に表す。
宇和名辺古墳     90度で真東
応神天皇陵と箸墓古墳 三宅島火口(大阪の計測点は南側の旧火口)
丸山城跡       富士山火口
 なお、計測中心ではありませんが、月のうさぎの目は両宮山古墳の左下のお堀の隅を通して敵の平壌を見ていました。平壌には岡山を指し示すサークルとしての池が作られており、互いに意識していたことが明らかでした。(12/24追記分)

 当時の歴史の確認のために北京側について調べると、紫禁城の乾清宮の前庭から103.65度に大阪への呪いのサークルがイナンナ定数22.68kmで設置されていました。この場所は南北に長い長方形で、長さを利用して岡山から奈良までの古墳群を範囲で指し示しています。同様に大阪も奈良も北京の計測点の方向をそれとなく残していました。
 当時の紫禁城の権力者側に日本の3つの古墳群が認識されていたことは明確であり、中でも4160年を強調している岡山からの破壊が計画され実行されたことは間違いないでしょう。造山古墳と旭川古墳に残るサークルと三角池は、2の12乗根側の技術であり彼らの行為です。日本は岡山のうさぎを防衛線にして戦った様に見えます。ここより西側の破壊は敵の帰国を促す為に、ある程度覚悟していた可能性があると思います。5千年前よりも新しい時代の出来事でしょう。
 103.65度の位置は仁徳天皇陵の南側となり、現在の大野池の近くで当時の政権中枢が存在した場所ではないかと思います。調べてみると奈良の水上池からリゲルの2062年(伴星近日点)角で社が建ち、もう一つの計測点から3倍イシス定数の距離が、社の北側に少し外れて聖神社を指し示しています。大阪の計測中心からは1912年でした。可能性として大阪和泉市のこの付近から政権が奈良に遷都した事を表している様です。戦も遷都も遺跡に残る知られざる日本の歴史です。
 残されている古墳の状況からはうさぎの東側は守られていると思います。私達の祖先のおかげであり、多くの古墳と月のうさぎに託された当時の人々の思いに、日本からの情報公開で答える時です。

2/2へ続く。屋久島と世界の遺跡になります。

日本に住む人へ
 キリスト教国では、この情報発信は出来なかったと思います。当時の人々はスフィンクスに相当する遺跡を日本に残さず、当時の敵には分からないADを明確に組み込んでいます。役割分担として先史文明の存在が日本から広がる事を託したのでしょう。
 スフィンクスがギザの役割として光を当てている一連の情報公開にご協力をお願い致します。先史文明の存在が明らかになる時、宗教の対立を利用した戦争への流れを平和に変える事になるのです。先史文明を知らない全能の神は人の作った物である事が明らかになると、支配の為だった宗教の教義を人々は信じなくなるでしょう。日本でも計画されていると思われるフランスのようなテロも、本来起こす必要はないのです。
 キリスト教やイスラム教に立ち向かう事ではなく、当時の人々が求めた光速度側だったイエスの本来の愛の教えを取り戻す事なのです。神、あの世、霊について知識を持たない部分が一部の権力者の支配に利用されて来た過去を、知識を取り戻しあるべき姿に戻す事になるのです。情報公開が前提として成り立つ、民主主義のあるべき姿でもあるでしょう。
 伴星接近と地殻変動へも注意が強く促されており、日本にとって富士山の噴火リスクに対処する事も同様に重要です。こちらは先史文明を受け入れる所から理解が進む事になると思います。遺跡の重要な数値が意味を持ってこれだけ重ねられている所は他になく、この情報のつながりを重要な物として伝えるために大規模な遺跡を残してくれたのです。

稲生雅之
イオン・アルゲイン

PS 奈良の水上池の計測中心になっている部分の写真が見てみたいです。丸い穴が土砂で埋まらず今まで残った工夫が、近くで見ると断面と底面に現れているはずです。伴星の本の時の様に次の本に載せたい技術です。近くから撮影頂ければありがたいです。
 よろしければ氏名等も本に載せさせて頂きます。少し先になると思いますが、土器と土偶の関連記事を書く時に紹介させて頂きます。詳しく調べるのは学者さんの仕事になりますが、こちらは一目見るだけで分かる部分を解析します。深さの概略寸法を知り、グーグルアースよりも詳細な写真が見てみたいというレベルです。
 気軽に記念写真レベルでお願い出来れば嬉しいです。時間も資金も余裕がないのでお願い出来ると助かります。海外での情報拡散を優先しており、寄付も含めてご協力をお願い出来れば幸いです。

 不思議な事にここに来て先史文明の遺跡の中からウサギが出てきたので、うさぎ年生まれの私としては彼らの後押しと受けとめ旧約聖書の暗号解析ソフトの宣伝をしておきます。ソフトのアイコンも生まれ年にちなんで本当にウサギです。
 旧約聖書の中の暗号が先史文明の遺物である事は記事にも説明しています。当時の計画情報がこの中にあるのですが、解析には多量のPCパワーが必要であり並列処理のシステムを開発しようとしています。解析手法の理解も進んでおり、相応の作業が必要です。
 Ver2.0のソフトをダウンロード版のみ2万円の半額にして販売します。現状普通のPCを使って自分の名前と誕生日、関係する情報の一部を見られる程度ですが、こちらへの寄付として購入頂ければありがたいです。
 購入記録はこちらに残りますので、並列処理システム完成後の利用料金にそのまま使える様に配慮致します。ここまで来るとこの仕事もやり遂げる必要のある事が明らかですが、完成までまだ1年以上は時間が必要でしょう。お待ち頂ければありがたく思います。

 今回も関連記事として著作権は放棄です。配布にご協力頂ければ幸いです。大阪と奈良と岡山のイラストはコピー配布にも配慮してあります。よろしくお願い致します。
 文章は長くなってしまったので、大阪以降の説明の部分だけでも抜粋して拡散頂ければ嬉しいです。

ソフト販売ページへのリンク
http://www.biblecode.biz/jp/

12/11追記
奈良の南側にある藤原京の解析も進めており、ここには法隆寺につながる重要な情報が残されていました。キトラ古墳は先史文明の遺跡であり、有名な天文図には歳差運動による赤道の動きが書かれていました。きちんと説明するのにイラストが必要でまた時間もかかるのですが、全体をまとめる前に出す必要のある情報です。

今後の予定ですが、新たに分かってきた部分も加える必要があり以下の遺跡と全体の状況の説明をする予定です。
群馬の天神山古墳
甲府の銚子塚古墳
宮崎の西都原古墳
福岡の岩戸山古墳と吉野ヶ里(古墳からギザの方向であり光速度の方向です。)
これらの遺跡は、大阪と奈良の遺跡を指し示し、富士山と三宅島、北京と平壌を分かるようにしていました。
北京がメインの敵だと今も考えていますが、戦の実行部隊は平壌で、こちらにもサークルと戦勝記念が残されていました。一通りを説明する必要が生まれたので、作業のやり直しです。

全体を見直す理由は、ギザも日本の大阪と奈良を分かりにくい形ですが、重要な部分を使って指し示していた事が判明したからです。デンデラの天文図だけでなくキトラの天文図も先史文明の物であり、ギザと日本のつながりはこちらの予想よりも強かったです。
アジアも海沿いに日本の富士山と奈良、大阪を指し示しているところがあり、当時の日本が海洋国家で有った可能性まで含めて見直しです。

12/24追記
 月のうさぎの目から両宮山古墳の左下のお堀の隅で、平壌への角度が組み込まれていました。それぞれの計測中心からも小さな構造物で指し示されていました。敵を見ているという表現です。気づくのが遅くなりました。