藤原京の教える日本の古代史1/2 12月16日一部追加

箸墓古墳と金山巨石群と日本の神社

 高度な文明を持っていた先史文明の世界の遺跡について、これまで多くの事を説明をしてきています。遺跡はエジプトとバビロン、テオティワカンとローマの2つのグループに分かれて争いを続け現在に至ります。
 現在は地区の争いではなくなっており、その状況が分かりにくくされています。古い時代については争いの痕跡が遺跡に残されており、日本と韓国、中国と北朝鮮の状況が明らかになって来ました。まずは日本の状況から説明したいと思います。当時の日本と韓国、中国と北朝鮮については、長くなりますので改めて記事にします。

 奈良の南側、藤原京の解析からは法隆寺へのつながりが示されるだけでなく、高度な文明とその技術との関わりが示されています。箸墓古墳の寸法には当時の距離の単位である一区が一尋の13倍である事が残されており、メートル距離との換算が出来ていた事が明確になりました。考古学的な統計解析結果とも一致する情報です。一般向けには尋と区で距離を示し、高度な一部の権力者のみが世界標準のメートルで考えていた様です。
 当時のもう一つの技術が暦の技術です。箸墓古墳からは春分秋分に加えて、冬至と夏至が観測出来るように山の峰からの距離が調節されています。都は東西に走る道で構成されていましたので、一般の人々にも春分と秋分は分かりやすかったでしょう。
 奈良と大阪にはもう一つの工夫があり、主要な古墳や神社、寺を通じて構成される70度と110度の傾きの直線です。この直線上から太陽が昇る時は、立春~冬を2~3日の固定したずれ量で人々に教えられます。真東から±20度の直線がこの目的で残されており、遺跡にも組み込まれて伝え残されていました。

 藤原京の回転角の計測中心は黒塚古墳にあり、ここから41.63度が東殿塚古墳を使って示され、その角度の先には飛騨の金山巨石群があります。箸墓古墳から137倍のイシス距離が近くにあり意図された位置の指定と思います。
 この金山巨石群は岩屋岩陰遺跡と呼ばれており、約7000年前の縄文時代の土器の出土に加えて暦の計測地となっていました。当時の暦は365.2424日まで求められており、非常に高い精度でした。このレベルがいつから存在したのかは明確に出来ないのですが、藤原京では311倍して距離を11359mとし、法隆寺の太子殿に向けられていました。これは偶然でなく近くに311.00度の池があり、明確な意図を残していました。グーグルアースでは正確な距離が分からないので精度を後の測量に託すことになりますが、365.242日位まではこの距離から確かめられると思います。

 計測中心の近くの石塚古墳と箸墓古墳ですが、C14による年代測定データーが公表されており、そこに興味深いデーターが残されていました。考古学者はAD200年位前にしたい様子ですが、石塚古墳は6300~6500年前、箸墓古墳は14000と12660年前位のデーターが混入しています。彼らはこれらをその土地の擾乱情報としていますが、こちらの見る範囲ではそれぞれに根拠がある数字になるのです。
 藤原京の計測中心からの角度で見ると、6300年前に相当する数値は3倍角で箸墓古墳と石舞台古墳を通る直線を構成するだけでなく、4倍角にも5倍角にも神社やお寺が存在し、この角度を非常に強く強調していることが明らかでした。

 当時の人々には方向を指定する技術、距離を指定する技術が存在したことは間違いなく各地の古墳群にはその地からは見えない富士山火口、三宅島火口が指定されて残されています。これは地殻変動のリスクを伝えるだけでなく、当時の人々がこの技術を持っていた事を伝える目的もあると思います。以下の3つは特徴的でした。

岩戸山古墳(福岡) 富士山火口への角度を514.5km先の奈良の鶯塚古墳に重ねる。ここからギザの角度には光速度に加えて有名な吉野ヶ里があります。吉野ヶ里は大阪、奈良よりも後の時代という可能性が高くなります。
西都原古墳(宮崎) 富士山火口への角度を5倍して29952と29979に調整している。
銚子塚古墳(山梨) 富士山火口と三宅島火口を重ねる角度に選んでいる。

 奈良においては箸墓古墳から70度が富士山火口になる調整も入れられています。これまでに説明してきた各地の古墳は富士山や三宅島を指し示していますが、これらは間違っても偶然ではなく、意図して行われる以外にはあり得ない統計的な一致です。

 この関連では藤原京は他にも重要な事を伝えてくれていました。回転中心から三宅島火口を見ると伊勢神宮の内宮が、イシスの6倍の距離に外宮の池端が重なるのです。金山巨石群と同じ指し示し方であり、意図は明らかでした。
 三宅島があるなら富士山もあると思いますが、すぐには分かりませんでした。重要なその神社は橿原神宮でしたが、その役割は初代天皇神武天皇の陵墓にも託されていました。神宮の本殿と陵墓前までの間が富士山頂上部分に重なる設定です。
 富士山への角度は69.333・・度に調整されており6倍して4160年に出来る事が重要だったのです。この地は富士山と三宅島の噴火が地殻変動のリスクに直結している事を日本人に明確にする役割を託されていたのです。4160年は石塚古墳が208度でその2倍、箸墓古墳の大きさが8区=13x8=104尋で、この数字への強調は遺跡全体の仕組みなのです。既に述べた金山巨石群への角度も41.63度であり、実は星々から推定する地殻変動への計算値の4162年に極めて近く、正しい値は将来の課題です。

 4160年が直接指定される部分は奇異に感じると思います。彼らの計画でありうまく行かない場合に備えて、耳成山が人工の山として造られて必要な情報を補完していました。大阪からは三宅島火口を示しており重要な大事業だったと思います。角度は頂上付近が214.8度で山裾が神武天皇陵と橿原神宮を示すのです。形状と位置で富士山への注意を促し、星々の示す2012年やマヤ暦の終わりなどからAD4160年への計算が出来るように配慮されていました。箸墓と石塚の古墳が104や208を強調するので、富士山の角度が3倍でこの角度になる事も使います。藤原京もギザも同様の手法でうまく行かない場合に備えていました。詳細は科学としてみるあの世の関与と因果律・イエスのADと2つの預言の関連記事を参照下さい。
 こうなると出雲大社も気になるので調べてみました。驚くべきその結果は日本だけでなく韓国との関係を示す物でした。

景福宮(ソウル)   42.8xイシス距離(敷地の端に当たる)
瞻星台(キョンジュ市)24.0xイシス距離(寺が建てられている)、この地の計測中心から奈良の計測中心へ100.01度。100度はヒシアゲ古墳(仁徳天皇の皇后陵)。
仁徳天皇陵 20.6xイシス距離、崇神天皇陵 23.0xイシス距離(黒塚古墳の隣)

 当時の人々が奈良だけでなく、光速度側に立っていた両遺跡の人々とのつながりを重視していたことは明らかです。白村江の戦いにつながる歴史でもあったのです。中でも瞻星台が仁徳天皇陵ではなくその后の陵を指し示す事は、血縁を連想させ非常に示唆に富んでいると思います。当時深いつながりのあった事に間違いはないと思います。
 距離に関してアジアとバビロンとエジプトを簡単に見ておきます。以下の都市で大阪、奈良、富士山への組み込みが確認出来ました。

景福宮、瞻星台(韓国)、北陵公園(瀋陽)、北海公園(北京)、玄武湖公園(南京)、ハノイ、バンコク、ヤンゴン、ボロブドール、コナーラク(インド)、バビロン、ギザ。

 この作業はまだ途中です。仏教のつながりなのか、海洋国家としての通商上のつながりなのか分かりませんが、東アジアの国々と光速度側の有力な地が私達に力を貸してくれている様です。
 ここではギザを説明しておきます。ギザでは回転計測中心からイシス距離に2049~75年を示す構造物が残されていました。この構造物への角度を第一ピラミッドの中心から測ると、大阪と奈良の角度が出てくるのでした。富士山は11.36kmで川の上に重なります。上記の中では北海公園も川の上に重ねてくれており、岡山における旭川古墳と旭川による富士山火口への表現を知っている上での配慮だと思われます。

 ここにギザを紹介した理由は、ギザの建設の時代が11360年前と推測されているからです。この時代既に大阪と奈良に日本側の拠点があったのかは、まだ明確になりません。
 第一ピラミッドと川の関係はあとから追加して加えるのは難しい物なので、設計時からの配慮であると思われます。日本の先史文明は、ギザと同レベルに古いという推察まではなり立つと思います。
 日本側では金山巨石群が約7000年前までを証拠で示し、箸墓古墳のC14は1万年以上の昔へのつながりを示唆しています。

 現状では情報が少なくて、遺跡の放射線鑑定をもう少し進める必要があると思います。それぞれの古墳の関連時期を明らかに出来るでしょう。
 単純に考えると、日本には大阪と奈良に昔から拠点があり、箸墓古墳は当時から存在した可能性があるとなります。橿原神宮、伊勢神宮、出雲大社を始めとする各地の神社は、重要な情報を表す場所として造られていました。当時の文明は中国から来た物ではなく、ハドソン湾極時代から東アジアに存在した物ではないかと思います。

 自然を表す森の中にあるこれらの神社は、当時の人々を導いたあの世の存在達を神々として崇める場所であり、人々の八百万の神々に対する信仰でもあったのでしょう。初代の神武天皇陵が橿原神宮の隣にあるのは、神官として存在達とのやり取りをしていた事を象徴しているのかも知れません。
 権力だけでなく人々の信頼を集めた理由がここにあるのでしょう。神々と人々が調和してお互いの敵に対峙していた当時の姿の象徴でもある様です。自然と神々を敬う当時の日本の始まりの姿であり、私達の地殻変動対策へも調和が必要な事を伝えているのでしょう。

 イエスの誕生とADの組み込みは、特筆すべき存在達と協力・協調した作業だったと考えています。AD組み込みの結果は相手がいるので決まっていませんが、存在達は計画通りに彼の誕生を調整したと思います。このレベルでの調和が取れていた現実が遺跡に現れているのであり、橿原神宮と神武天皇陵の4160年への調整は当時の人々の決意の表れです。未来は決して決まっておらず、その時代の人々が創っているのです。
 藤原京は特に存在達との調和が重要である事を伝えていると思います。当時の人々の計画としてあの世と霊などの存在を明らかにする事が必要であると考えたのでしょう。人々を支配する道具ではなく、この世とあの世の関係を伝え調和を図る宗教の本来の姿を教えたい様子です。
 当時の文明は大阪、奈良の拠点を残しながら8540年前に屋久島に巨石遺跡を残し、本土に戻って7300年前の鬼界カルデラの噴火を避け、大阪エリアと奈良エリアの古墳は6300年前くらいに作られた物だと思われます。

 続きは藤原京の現在につながる代表である法隆寺と、歳差運動を表しているキトラ古墳の天文図について2/2の記事で説明します。

稲生雅之
イオン・アルゲイン
関連記事は著作権放棄です。自由に配布頂ければ幸いです。

Rev1 耳成山の解析結果を追加。ADの年代設定がうまく行かなかった場合に備えた2148年の組み込みがなされ、人工の山として富士山を模しリスクを伝えていました。

参考図書 天文で解ける箸墓古墳の謎 豆板敏夫
金山巨石群の説明 金山巨石群調査資料室
http://www.seiryu.ne.jp/~kankou-kanayama/kyoseki/
金山巨石群の考察を含む詳しい説明 星たびさん 遺跡の古さはこちらで考えてみて下さい。
http://www.hoshitabi.com/kanayama/index.html
イナンナ定数 6~3万年前のハドソン湾極時代を表す大きな数字で、暦の計測数値と歳差運動周期の数値のかけ算。2の12乗根側が極移動を求める時に使う数字です。
195955200000000=2268000000x86400 =70x60^7(ニネベ定数として知られる部分。)
= 25920x500x30240x500
= 324000x40x30240x500
= 900x64x189x360x100x500
; 900x64x189/360= 30240,
 遺跡には22.68kmと8.64kmで使われることが普通で倍数も多いです。まれに19.59552kmも目にします。 
イシス定数 極移動に関係しない現在の暦の数字です。光速度側の安寧を願う数値です。
13207139618400
= (365x1461)x819x30240
= 1461x6615x1366560
; 1461= 365x4+1 ; 1366560= 29952x365/8
 こちらは13.207139kmで使われることが普通です。分数や倍数も普通です。
先史文明の遺跡全般の説明 要約版 遺跡の伝える地球の過去と未来 地殻変動情報はこちらです。
http://www.biblecode.jp/News_View.php?@DB_ID@=325