近未来のエネルギー        3月21日

 3月11日の地震で私達は原子力政策の本当の姿を見始めています。この先どの様に私達の使うエネルギーが変化して行く事になるのかを調べてみました。
 地図で確認したのですが、東京に近い場所の原子力発電所は茨城県東海村の1台だけでした。約100km圏にあり、日本原子力発電という国策と思われる会社の古い物で、東京電力の物ではありませんでした。

 現在事故を起こしている福島の原子力発電所では30km圏内が危険域です。もしこの様な発電所が東京湾内にあって事故を起こせば、100万人とか1,000万人が避難することになります。このリスクがあるから東京電力の原子力発電所は遠くにあるのでしょうか。
 遠方からの送電には、エネルギーの送電ロスが確か何十パーセントもあります。近くに作ればこのロスはなくなるので、火力発電所など東京湾内にある物もあります。結局東京電力は真実を説明しないだけで、リスク回避のために遠方に原子力発電所を建てていると思います。

 事故が起きたあとの結果論ではありますが、何度も何度も想定外の事故という言葉を聞かされる以上、私達の政策も関連する安全基準も現実よりも経済性に重点を置いているのです。リスクがあって東京湾内に原子力発電所を建てられないくらいなら、遠くにおいてまわりの人々にリスクを押しつけるのではなく、他の政策を選べばよいのです。この自由がかつての日本政府になかったのかも知れませんが、関連してお金儲けをした人々がいることも事実でしょう。

 今回の事故に関連する情報公開についても改めて解析して公表したいと思っています。リスクがどこにあるのか、報道では分からなくされています。燃料棒が爆発した建物の中にあって危険であったことは、建物が爆発したあと時間が経ってから公表されています。
 計画停電により電力供給の重要性をアピールしている部分があるのかも知れないと感じていますが、原子力発電所に対する不信感をぬぐい去ることはもうできないでしょう。

 この先電力が必要だから原子力発電所がこれからも必要だと言う人が出てくると思います。その様な人たちには、電力需要の最も多い東京都内に建設するように要求しましょう。火力発電所のように安全であれば、何の問題もなく建設が進みます。自分達は危険度を知っているからこそ、近くに建設することはできないのです。遠くに作っても危険は広範囲に伝搬する物であることが明らかになりましたので、実質日本にはもう建てられないでしょう。

3月11日後のエネルギー の解析結果
 2011年の東北の地震後のエネルギーは、徐々に変化する。原子力も使われるが、人々は原子力を必要としなくなる。
 多様な安全なエネルギープラントが求められ、石油、天然ガス、水力、風力、太陽、バイオになってゆく。メタンハイドレートも使われるようになる。エコな化学でもある。
 各家庭に近い場所に分散設置される。津波、高潮、海面上昇に対応する必要がある。

 この解析を行った場所には、プラズマやフリーエネルギーなどは出ないように配慮されていました。この様なエネルギーがすぐに使える物でないことを示しています。これらは暗号上は2020年以降にやっと芽が出てくる物です。今は色々なことが言われていて、すぐにでも新しいエネルギーが使えそうにも言われています。この様なエネルギーが今出てくるとすぐに戦争兵器に使われると思いますので、平和になるまで出てこないように配慮されているのではないかと思います。

 各家庭に燃料電池が置かれるようになって、送電のロスや使う時だけ発電するという利用効率を高めることになるのも、もう少し時間がかかるようです。当面私達はエネルギーの多様化を求め、安全な物へのシフトを徐々に進めて行くことになるようです。この意味でもメタンハイドレートは必要度が高まってきています。原子力を使い続けるよりも遙かに安全に使い続けることができるでしょう。

 風力も太陽電池も今までより使われるようになって行くようです。バイオはバイオマスとして様々な物からメタンガスを取り出して使う流れです。石油から天然ガスを重視した物へと政策も転換せざるを得ないかも知れません。
 今までは石油に頼りすぎている部分を原子力により分散してきましたが、この分散の先を新たに変えて行く事になるでしょう。

 政策レベルではまだ大規模な風力発電所や太陽電池発電所は設置が難しいですが、個人レベルでは自宅に設置する太陽電池と蓄電池は便利な物になっていると思います。まず火力発電所で燃料としてメタンハイドレートは使われることになり、その後燃料電池として、自動車を始めとして様々なところで使われるようになるのではないかと思います。

 現状津波、高潮についてはリスクを考えた上で政策が考えられて行く事になったと思います。この先に海面上昇から来るリスクが加わるのは、2014年か2015年以降の環境変化に向き合う時と思われます。現実を見ながら変化に一つ一つ対応し、よき未来を選び取ってゆけるようにと願っています。 

稲生雅之