ファティマの聖母のメッセージ 米国の嘘4 3月22日

 2019年の1月にこの記事を3つ書いています。この当時は、2018年9月28日のインドネシアのM7.5の地震が伝える201912xに備えていた時期です。約7千人も殺して伝える情報なので、大きな意味があると考えていましたが、この記事を書いている2019年の3月21日の時点でも大きな動きはありません。
 その後自然は2019216が節目であったことを伝えてはいますが、現状は続きがどうなるのか不明瞭なままです。
 自然は延々と先延ばしする組み込みを伝え続けていますが、神事の啓示を通して以下を伝えてきています。

3月17日 東海第二原発付近にて伝えられた御言葉
人の子の世の中は 善き道 善き未来へと 進もうとしているが 
これと同じくして 人の心の中には 悪しき思い 悪しき心 戦 争いへの念 
何がしかの大きな災い 起きし時 人々気付き 転換期を向かえ 変わりゆくことを望む者もいる
けれどもそれでは 何も変わることはない
何がしかの大きな 災いが起き 転換期を迎えることは まずない
人々が 今のこの世の中に於いて 何を大切なものであると思い直し 何を見つめ 何を未来に託し続けなければ 残し続けなければならぬのかを 改めて思い直し 
善き道 善き未来とは 何であるかを 考え直し 思い直し 
次の世代 次の命達が 心安く 安心して生きてゆくことの出来る世界とは 何であるかを 思い直し 
善き道 善き未来へ 今 生きている者達が 
自らが 何か出来ること 何が出来るかを 考え そして その出来る限りのことを尽くすことが
世の中を平安に 平穏に変えゆくことの出来る 道となるのである
善き道 善き未来とは 一日にしてはならず 一日にして出来るものではない
また 人が 災いとゆう 戦 争いとゆう 厄災とゆうものにより 
心大きく動かされ 変わりゆくとゆうものでもない
そうであれば 今までの大きな歴史の中に於いて 変わり続けてきた筈であるが 
何も変わることはなかった
人は 今 今のこの世の中から 変わりゆかなければならない
善き道 善き未来 安心して生きてゆくことの出来る世界とは 何であるのか
どのような状態であるのか
人々が この世の仕組みを 善き状態へと変え続け 戦 争いのない道を選択し続け 
世の中を平和に 保ち続けゆくことこそが ミロク世への近道となりゆく

3月18日 犬吠埼にて伝えられた御言葉
進まなければならない道
多くの道があれども 進まなければならない道
人の子が 何を思い どこへ進むのか
人の子が 何をおこない 成し遂げたいのか
自然界の話を聴いているのに
人の子の話とは 不思議に思う事もあろう
しかし 人の子の行いと 連動している事は 事実である
気づけよと知らされている事もある
理解せよと知らされている事もある
自然は 前もって知らせている 伝えているぞ
知らせ続けている
自分達が 生きている星の上に存在しており
その躍動の恩恵を受けていることも 忘れるな
生きている星の上に存在していることを肝に銘じ生きゆけ
必ず 大地は動く
連鎖連動は免れたとしても 大地は動く そうしなければ多くの生きとし生けるものが生きてゆけないからでもある
人間が自然に合わせよ
自然を人間に合わせるな
人間に合わせる事によって その弊害は大きく計り知れない被害へと広がってゆく
自然を知り 自然に沿うて生きよ
人の作りし堤防は崩れるが
自然が作りし堤防は崩れない
自然が創りしものは自然に沿うている
気づけよ 人と共にあろうとする自然を大切にしてゆけ

3月18日 野島岬にて伝えられた御言葉
命の子らよ
善き道 善き未来とは どこへ進むと思うか
善き流れとは 何ゆえに生まれてくると思うか
人の子らよ 
命達と共に歩みゆくことを忘れず
自然と共に この星と共に生きゆくことを忘れず
戦 争い 決して進むことなきように
命達と共に 歩みゆくことを思えば 
争うことなく 殺戮 殺し合うことなく 
平和の世 平穏の世を 進みゆかなければならない
人は 心に 一抹の不安もあれば 
幸多く 至福を しっかりと受け取る心も持ち合わせておる
その心を 幸多く それを受け止めゆく心を しっかりと持ち続け 見失うことなく 蓄え
そして 豊かに 心豊かに育てられゆかれよ
不安に 押し潰されることなきように
その解消をすることは 
不安を 恐れを 見ないようにするのではなく
備え 万が一の備えや 解決の道を探ることにより
不安や恐れは 解消されゆくものである
見ないようにし 蓋をするのと 
向き合い 解消の道へと進みゆくのとでは 
天と地ほどの差がある
向き合いゆく勇気と 解消しゆく行動を 忘れることなきように 
争わずして進む道は必ずある
人は 心豊かに 智恵豊かに 人と共に歩み 緑 自然達と共に歩みゆくことは 出来る筈である
それは 自らの内にある 多くの生命達の命を感じ この星を感じ 
そして 善き未来を見据え 見続け 
しっかりとその道の選択をし続けゆくことにより 叶いゆくことは出来る筈である

 始めの啓示で災いで未来が良い方に変わることはないと言いながら、続きは必ず自然は動くの表現です。いたずらした悪い子が誰なのか、知ってるけど知らないという子供の言葉を思い出すほど、隠し事を望む姿勢でしょう。加えて、何らかの続きの対処を求める物にされているでしょう。
 3つめの啓示は省いても良いのですが、こちらの視点では1つめの啓示とセットであり、ここで垂れているきれい事への対処を求める物でしょう。単純にはただ単に大きな災いが起きても世の中を変えることは出来ないのですが、準備を整えてそれを待てば、良い方向に変えることも出来るという話です。
 歴史を問うなら、天変地異を政変に利用してきた事例など腐るほどあると書けるのであり、啓示にはあからさまな嘘が書かれているともいえるのです。もちろんこの種の政変は権力闘争の覇権の奪い合いでしかなく、世の中を良い方向に変えているわけではないという部分も事実でしょう。
 あからさまな嘘を批判しても恐れることはないでしょう。ここにあるのは、今の時点ではまだ準備不足だという台詞であり、今頃言うことかとこちらは逆に文句を返したいところです。情報を準備してきた側として、最後に詰め込みたい物があるからこその動きだと思える部分でした。そして今更、過去において出来ていない事であり、絵に描いた餅に等しいミロク世への近道など、方向だけ教えられても進む手段を持たないのであり、学ぶべきを学ばなければまた、崩されるのみと思えています。
 過去で来ていないことを並べる説明の矛盾を指摘させて、こちらのガス抜きにでもしたいのでしょう。禅問答にしてガセネタである部分を明確にしているのかも知れません。

 こちらは仕事に使っているメインのノートPCを3月17日に不自然に壊されたと感じる状況があり、あの世側からのインチキとしか思えない状況に対して、この種のくだらない奇跡をやるよりもさっさと自然を動かせこんちくしょうと、文句を書いたところです。こちらの資金繰りの苦労を知らずになされる続きの嫌がらせであり、導きであるにしても、ここまでする必要があるのかという意味です。
 このタイミングをやはり計っていたらしく、神事の啓示がほぼ3ヶ月ぶりに流されてきて、上記の状況です。続きもあって、そろそろ動くかも知れないと状況も添えていますが、この部分には進展のないままに本日です。まだまだ先送りすると思える状況です。
 この後、彼らの指摘通りにまだ準備の足りなかった部分をこの記事にまとめるのですが、相変わらずの嘘を聞かされる側としては自然にも文句を書いておきます。普段は人霊達と自然の双方をあの世の存在としており、主に自然と人間の仲立ちをしている人霊達への不満を書いてきたことが多いでしょう。自然に文句を言っても人霊が間に入っているからこそおかしな話になることもわかりきっているのですが、人霊と人間は違うという事にも、もう少し配慮があってしかるべしと感じています。
 自然は人霊と人間を合わせて人間として扱うのですが、人霊と人間ではその価値観も大きく異なるし、現在の人間達は過去の人類とは異なり、自分たちの過去の歴史も科学技術もあの世に預けてきています。限られた知識と判断力しかない状況で永続する平和な未来を求めるのであり、こちらが過去のような人類であれば言う必要のないことも数々加えるのかと思います。

 自然に人間が合わせることは、この先の未来において重要になるでしょうし、出来ないことを自然に求めるほど未来の人類は愚かではなくなるでしょう。今の人類にはわからないことが多すぎるのであり、自然のバランスもその変化を理解出来ていない物が多いでしょう。科学の進歩と、善の側の闘争における勝利という結果に応じて変化する部分でしょう。
 現時点で「自然は 前もって知らせている 伝えているぞ 知らせ続けている」というのはガセネタ混じりであり、嘘とホントを混ぜるからこそ出来ているのであって、正しく内容が伝わっているかなどそれなりにしか配慮されていないでしょう。敵の前において出来ないに等しいはずです。言葉で飾っても、少なくとも今は出来ていないでしょう。
 一部の者がこれをそこそこに理解出来ているにしても、人間の全体ではこの様にはゆかないし、神事にしたところで警告を伝える役割を常に担うわけではなく、相手に勝つためなら嘘でも何でもありの道具でしかないでしょう。
 近い将来に二つの争いに対する当面の勝利が得られた後に、情報のやりとりの形も変わってゆくのでしょう。現在の人間と自然の間では交流が非常に限定的なのであり、今の状況で物を言っても大半の人々には適切には伝わっていないことを知っていてほしいと思います。
 ガセネタ流し隊が、理屈こね隊になり、そろそろ当て隊になるところかも知れませんが、今のやり方で一般人の信頼など得られるようにはならないだろうと書いておきます。続きが重要になるでしょう。多くの人間もその他の命達も訳も知らずに命を差し出すことになるからです。自然界にも人間界にも不条理はある物でしょうが、どこまでの配慮で動けるかは選べる物です。表現も含めて書きすぎかと思うところもあるのですが、人間と神事の立場の違いを明確にするためにも、ここは人間の立場の言葉で表現しておきます。
 この後記事の本文です。わかりにくい導きで記事のこの部分が進展したことへ、お礼の言葉を添えておきます。ありがとうございました。

5に続く